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148kgから65kgに痩せるダイエットのすすめ

 私は高校卒業間際のかつて、174cmの身長で最大148kgの体重がありました。20歳までの二年間で65kg前後まで減量を行い、ダイエット成功から十年以上が絶つ現在も体重をキープしています。

 世の中には様々なややこしいダイエット方法が出回っていますが、ダイエットの基本はただひとつ。それは毎日体重を計って、前日の体重を上回らないようにするだけです。
 長期間の横ばい傾向は無視してかまいません。自然と体重が下回ればまたそこを限界に上昇してはいけません。前日の水準を上回った場合は、翌日から速やかに運動や食事制限によってこれをリカバーしてください。これだけで、スムーズで健康的に痩せることができます。

 体重の計測は毎日決まった時間に行い、水分摂取の制限による、測定前の悪あがきは、自身のために全く無意味な行為です。ただ普段の生活の中で、踏まざるを得ないような場所にヘルスメーターを置き、日に一度、なるべく同じ時間、条件の元で抜き打ち的に表示を計測します。
 一日に二度以上の計測も厳禁とします。消化器に物が入るだけでも、ヒトの体重は1kg前後の範囲で上下します。その変動に一喜一憂することは、長期的な目標を見失うことになります。
 そうしたある程度の変動も踏まえたうえで日々、昨日の体重と同じ水準以下の体重をキープすることが大事です。

 計測には、0.1kgから計れる、電子ヘルスメーターがお勧めです。
 体脂肪率とか他の難しいことはとりあえず考えなくていいです。基礎的な筋力維持ができればなおよいですが、筋力は目標体重あたりまで痩せた後からでも鍛えられます。ダイエットと筋力作りを同時に行おうとすると、経験的に必ず失敗します。食事制限が難しくなるからです。

 日常生活を送っている限りは、日常生活に支障の出るような筋力の減退はないでしょう。それ以上の筋力はダイエット成功後につけましょう。筋肉は皮下脂肪と違い、案外すぐについてすぐに落ちるものであるということを知りましょう。

 タンパク質、糖質偏重の食事を行い、脂質は少なめに摂りましょう。
 全粒穀物類はタンパク質、糖質のバランスが良く、それなりに不溶性、水溶性食物繊維も含んでいますので、これの単色とビタミンサプリメントを基本とした食事は、ダイエット食として総合的に悪くないです。穀物断ちはむしろやめましょう。

 目標体重を2kg程度下回ったところで通常の食事へ戻し、リバウンドをその範囲に抑えます。
 目標体重に到達する頃には、目標体重を維持するのにちょうど良い加減の食欲に、身体も最適化されているはずでしょう。消費エネルギーの収支が目標の範囲までに収まり、体質に変化が起これば、ダイエット中に思っていたほど甘いものも太るものも食べたくなくなるものです。

 目標体重が安定したら、適当に運動を行い、汗をかく程度身体を動かした後には積極的にタンパク質の高いものを食べ、栄養価バランスがとれた食事を行ってください。ダイエット中も、ダイエット終了後も、野菜やフルーツ、サプリメントなどによってビタミン類は摂取したほうがよいです。疲れた時には、特に多めを摂取してください。

 凡庸なことをいっているようですが、これはダイエット唯一の正道だと思います。肥満の傾向がある方は、私自身を振り返ってみても、日常の興味が食事に偏りすぎているきらいがあります。一旦その楽しみは置いておいて、それ以外の楽しいことに感心を向けてみることも、ダイエット成功には大事です。

TPPの真実 日本は軍縮を行うべきでない

 私は日本にすむ民衆のひとりとして、日本の軍縮、武装解除を訴える闘争を行ってきました。しかし遺憾ながら、暴力だけが支配する世界であることは認めざるを得ず、それは古今東西変わりがありません。

 非暴力、平和というのは、この資本主義の帝国が国民による暴力蜂起を不法とするために流布された、レトリックでしかないと考えています。
 現実に、世界最大の暴力を持つ中国、アメリカは、その暴力によって生命倫理も公正もそっちのけにした、軍事的侵略を今現在も淡々と進めています。アメリカが行う中東に対する軍事攻撃、また反米政府ゲリラに対する武器供与は、自らの手を汚さない暴力による侵略そのものです。

 最初のアメリカによる、日本への貿易市場開放と不均衡条約の締結は、何によって行われましたか? たった数隻の黒舟という圧倒的暴力による、軍事的威嚇によるものであったことはいうまでもありません。
 GHQによる統治支配は何によって行われましたか? たった二発の核兵器という圧倒的暴力による軍事的威嚇によるものであったことはいうまでもありません。
 TPPも同様です。
 日本は、日本単独によってそうした不均衡条約の強制と、アメリカによる市場開放の強制を拒否するだけの、軍事力を持ち合わせていないのです。中露同盟が自らの国益に対する利害を照らし合わせ、結果としてアメリカによる自由主義侵攻を看過するなら、武力的にアメリカに劣る日本は、その意志や国益とは関係なく、アメリカによって提示される不均衡条約、内政干渉の数々を、今後も受け入れ続けざるを得ないでしょう。

 日本が即刻武装解除を行い、丸裸になったからといって、東西の軍事大国による侵略は容赦されることはないでしょう。直接の戦争による侵略を行わないにしろ、日本がTPPを含む不均衡条約の数々を次々に承諾させられ続けざるを得ないのは、日本の軍事力がアメリカの軍事力に対し、圧倒的に劣っているからに他なりません。

 日本はアメリカに守ってもらうほかない、のではなく、殺されないためにアメリカに従わされ続け得ない、というのが日本外交が抱える現実です。その武装解除、軍事力の縮小は、GHQにより定められた憲法九条による、日本の軍事的無力化が功を奏した結果です。

 第二次大戦以前までの、暴力による侵略が国際的に不当とされない時代であれば、中国、アメリカは日本に宣戦布告を行い、戦略的優位によって一方的に(不均衡条約の強制による)植民地拡大を行うことは容易であったでしょう。
 非暴力、平和という建前上それを行わないだけで、東西はお互いの侵攻と経済的覇権域の拡大という、合法的な植民地化によって、自らの権益の広がるエリア拡大を企む、帝国主義国家に他なりません。

 ソビエト連邦崩壊により東西の軍事的均衡が崩れ、アメリカが唯一超大国と化した時、アメリカは何の躊躇もなく、中東に対する軍事侵攻を行いました。それは中国の支配圏が及ぶ東アジアと違い、アラブ戦争に間違いなく勝てるという見込みがあったから決行されたまでのことです。
 実際に圧倒的軍事力により、自由主義化の推進、新米自由主義諸国の拡大という形で、アラブ諸国に対するアメリカの侵攻は、一定の成功を収めました。
 反米政府である朝鮮に対し、アメリカが同様のことを行わないのは、中露という拮抗する武力が存在するからという単純な理由に他なりません。、日本、韓国、台湾などの東アジア親米自由主義諸国に対して軍事侵攻を行わないのは、当該諸国が既に自由主義圏に収まり、それら政府の振る舞いがアメリカの国益に反さないからです。
 既に日本を含む東アジアの自由主義、貿易開放を受け入れた諸国は、アメリカの経済的植民地にあります。それらの親米自由主義諸国は、アメリカの52個目の州に加えるまでもなく、アメリカ覇権の及ぶところであるのです。

 イラクをはじめとする反米アラブ諸国と並んで、アメリカが「悪の枢軸」として定めた、アメリカの自由主義圏拡大において目障り以外の何ものでもない極東における社会主義圏の果てである朝鮮に軍事侵攻を行わないのは、それに拮抗する中国、ロシアという軍事大国がバックにあるからです。
 朝鮮単独の武力のみでは、アメリカの軍事侵攻に対し、せいぜい一矢報いる程度の報復はできたとしても、実際の制圧まで数日とかからないのは、多くの軍事アナリストが主張する通りであると私も考えます。しかし、中露と親交をもち、対アメリカ侵攻の最前線である朝鮮に対する軍事侵攻は、中露自身の国益にとっても看過できるところでなく、中露同盟による軍事支援が行われることは間違いありません。

 丸腰の相手を、相手が丸腰であることを理由に攻撃しないほど、人間は善良ではありません。平和を保つには、武力的均衡を守り続ける以外に方法はないと考えています。
 平和はバランスによってもたらされるのです。
 日本が全面的な武装解除を行うことは、東西のパワーバランスを崩すことであり、直接的な武力抗争の発端となるのは間違いないでしょう。
 現実に軍事力縮小、核兵器放棄、平和主義へと政治を舵取りしたリビアは、自由主義同盟による武力侵攻と、アメリカによって主導された反政府軍事クーデターにより崩壊し、新米政府によって統治されることとなりました。丸腰であることは、武力侵攻を退けることにはならないことが証明されてしましました。
 アメリカ、イギリス、フランスの自由主義連合国によるリビア空爆を受け、今年三月、朝鮮は核武装放棄の拒否を正式に行いました。

 日本に戦争の意志がなくても、世界が日本に対し軍事侵攻を行わないことは明らかとされました。日本の軍事武装を全面的に否定した私の思想は、楽観的であったといわざるを得ません。

 二次世界大戦によって平和が取り戻され、戦争はもう起こらないというのは嘘であり、詭弁であり、間違いです。
 世界大戦は今現在、続いており、全ての国家、思想、宗教コミュニティが、世界覇権を巡り、戦争を繰り広げているのが、遺憾ながらこの世界の現実であり、現状です。
 全世界の全武力が即時解除されるのであれば話は別ですが、それが現実的に不可能なのはいうまでもありません。日本単独が即刻武装解除を行うことが、日本の、ひいては世界の平和に結びつくというのは、楽観的理想論です。ここ数年の世界情勢の成り行きで、私はそれを確信しました。
 均衡を保ちながらの世界的協調と、世界的軍縮を進めていくことが、世界平和、非武装へ向かう唯一の道であると現在の私は考えています。

 日本国内の軍隊、自衛隊のみを反対することでは、平和は達成できません。自衛隊が即時解体されることは、平和に結びつかないのです。
 しかし少なくとも、日本に住む戦争によって真っ先に生命を奪われる一大衆として、日本の軍拡に対しては反対していくでしょう。世界平和と世界的武装解除へ向けた行動を、これからも私は行い続けます。

国家と宗教

 宗教は、国家や民族共同体における人格であるといえる。
 国家が外交を行うとき、国家という集団はひとつの人格として振舞うことが求められる。その判断を行うポリシーとして、宗教における信条は機能するだろう。

 民主主義国家における「政治と宗教の分離」は、建前に過ぎない。
 ひとつの教義を共有しあう人々にとって、国家主体としての判断には、信仰を基点としながら論理的に導き出される宗教的な「正解」が共有される。国民の大多数が固い信仰を持つ民主主義国家においては、大多数の国民の宗教がその国家主体における「ポリシー」とならざるを得ない。
 民族主義的な宗教を国の宗教としていれば、国家主体は民族主義的で排外的な人格になるであろうし、人類全体の救済を説く宗教であれば、望ましいと考えられる世界帝国と世界秩序の建設に奔走するだろう。

 正解といったが、そもそも国家主権の判断には「正解(正義)」そのものが宗教的な倫理観にしか問えない問題も多い。戦争、法律、医療などの「人権」にまつわる問題が例である。
 また、宗教的な正解が、実際に国家という共同体の利害や、共同体の持続性という判断の面からも正解であるかどうかは、別の問題である。それだけにこの「ポリシー」の固さとその正しさが、国家主体として持続性の堅牢さに強く結びついていることも否定できない。

 他人の「どうする?」という問いかけに対して「どっちにしようか自分の中でも揉めているのですけど、どうしまたらいいでしょう?」という応答をする人がいれば、その人は他人からは「こいつは自分のことを自分で決められないやつなんだな」となめられるのも致し方ない。
 どうしたらいいかわからない人は、他人の判断に頼るほかない。そうした判断力の弱さにつけこみ、自分の利害だけを一方的に通そうとする強引な他人も当然いる。
 固い信仰(共有される善悪の基準)を持たない国家主権の人格が、ぶれ続けるのは無理もないことだろう。

 科学や哲学は客観性を備えるが、その客観性ゆえに物事の善悪を規定しない。
 科学が宗教を置き換えるには、宇宙の理の全てを証明するほかない。そうでない限り、科学のカバーしない範囲の判断を行う基準として、全ての個人と共同体の中で、宗教は機能し続けるだろう。
 宗教とはその良し悪しを問われる以前に、人間が社会を構成するためにいまだ不可欠なものであり、その役割は現在に至っても失われてはいない。

藤田直哉氏による 『プシスファイラ』論

 「SF評論賞チーム」の公式ブログ、「21世紀、SF評論」に、文芸評論家、藤田直哉氏による『プシスファイラ』評論が掲載されました。


 【SF評論】 天野邊 『プシスファイラ』
 ハイパー・ビルドゥングス・ロマンへの衝動 ――藤田直哉
 http://sfhyoron.seesaa.net/article/169762472.html
 
(※外部リンク)

ある茶の間のジェネレーションギャップ

 ペットボトルのウーロン茶を飲みながら40代の人がふといった。

「最初これがでたときは、お母さんが『中国のお茶買ってきたよー』なんていって買ってきて、子どもの頃のあたしも『えーどれどれ』とかいって喜んで飲んだっけ」

 その言葉を聞いて20代後半の人は驚いた。

「は? ウーロン茶ってそんな最近でた飲み物なの?」
「ペットのやつはね。お茶葉はその前からあったと思うけど。あたしん家は十王の山の中の住宅地で、お店は○○商店さんひとつしかなかったから。そこにこのペットのが入ってきて初めて飲んだんだよ」
「ふーん。あれ? 小さい頃まだ自家用車はなかったの?」
「いや、それはあったけど。日立のほうまで出てこないとお店はなかったから、特別なことがなければみんなそこの○○さんで買い物したんだよ」
「ふーん」
「十畳ぐらいの敷地のお店でね、そこで食料品も生活雑貨も生鮮も、アイスやお菓子とかも全部売ってたんだよ」
「へえー」

「近所の家はみんなそこで買い物するからね。そのお店がサンマを仕入れた日には、その辺の家中のお夕飯がみんなサンマでね。『○○ちゃんのウチは昨日なに食べたの?』 『サンマー』 『あはは、ウチも』なんていって」
「あはは」
「○○商店さんが休みの日曜なんかは、高萩のヨーカドーに買い物行ったりしたけど」
「え? お店が日曜日休みなの?」
「昔はそういうお店も多かったよ。けど○○商店さんも儲かったろうね。家とかどんどん建て増ししていってね」
「ふーん。けど、なんでそんなに儲かるのに誰もお店をやろうと思わないんだろ?」
「お店は○○さんがあるからもう要らないでしょって、みんな思ってたから。その辺の家の人はみんな日立製作所とかで普通に働いていたし、わざわざお店なんかやろうと思わなかったんだろうね。あの頃はお父さんが働けば、一家みんな普通に食べさせられたし」

 ここで20代後半の人は、はっとして息をつまらせる。

「間違いなく儲かる場所なのに、どこからも資本が入り込まないのがまずすごいね。俺が生まれた頃はちょうど過渡期だったんだろうなー。家から一キロぐらいのところにいまから考えたら小さなセイブのスーパーがあって、そこでほとんど買ってた」
「そっかー」

「その後、住宅が増えてどんどんスーパーも林立してね。安売り競争をやって、資本力の尽きたところから死んでいって、また新しいスーパーが立ってみたいな群雄割拠の時代だった。一キロ内に常に数件のスーパーがあったから、ウチもやっぱり安いところで買ってた」
「うーん」
「そうしてだいたい淘汰されて、いまは個人営業の小売も中途半端な規模のスーパーも全滅して、大型スーパーだけが残った状態だけど。最近ははっきりいって大型スーパーでもモノ買わなくなったよね。その辺の店大体みても、何をとってもアマゾンの方が安いから生鮮以外のパッケージ品はそっちで買ってる」

 20代後半の人は、喋りながら胸が苦しくなってきた。

「考えたら今の世界は地獄だね。修羅だね。ウーロン茶飲んで喜んでた時代と今と、どっちが幸せなんだろう」

 泣きそうな20代後半の人を、40代の人は慌ててなぐさめる。

「けどあたしは別に、あの頃に戻りたいとは思わないかな。なんか選べなくて自由がなくて息苦しいって思ってたし」
「けど、その自由と引き換えにしたものは小さくないよね」
「まあそうね。たしかにわかりやすい話だよね」
「……」

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