韓国の著名なミュージシャンたちが、北の子供たちを救済するというコンセプトで、オムニバスアルバムを作ったようです。そのうちの表題ともなっている『Cry with us』というトラックが、動画共有サイトで話題になっています。噂をきいて自分も視聴しましたが、素直に良くできたクリップだと感じました。まだ日本語訳詞は出回っていないので、朝鮮語を知らない同胞たちのためにもと考え、稚拙ながら訳してみました。まだCDが届いていないので訳詞はリスニングによるのもですが、およそ正しいと思います。
Cry with us. (ともに泣こう) 誰を待つの まだ待つの 疲れた両目を瞑るとき 胸の慟哭も止むとき ずっと待ち続けたその人は誰 渇いた目は覆われ この世界 置き去りに きみの渇いた唇が 夢にまで呼んだ その名はなに ぼくらはひとつ その名はひとつ 知らない仲とは言わないはず 想いは私に伝わる 兄弟だろう ぼくら ともに泣こう Cry with us. きみの流す涙は 私の頬をつたい流れる ぼくの流す涙は きみの心を濡らす その昔から ぼくらはひとつだろう ぼくらはひとつ その名はひとつ 知らない仲とは言わないはず 想いは伝わる 兄弟だろう ぼくら ともに泣こう Cry with us. 疲れ果て倒れ 泣くことも出来ず 溜息だけを残し そっぽを向くとき きみはぼくの腕を掴み ぼくら共に歩く ともに目指す明日のために ぼくらはひとつ その名はひとつ 知らない仲とは言わないはず 想いは伝わる 兄弟だろう ぼくら 掴んだ手 もう離さない 誰が何と言おうと 初めからぼくらはひとつ ともに歩もう Cry with us. この曲とは別に、南北の民が共有する、統一を願う古典的な曲があります。
その歌いだしはこうです。『我らの願いは統一。夢にも願いは統一』
「おまえらがバカ面下げてこの歌を歌っているその最中にも、兄弟たちは次々に飢えて死んでゆき、妹たちは二束三文で国境の街へと売られてゆく! 俺たちはもう十分待ったんだ! 待ち尽くした!」
シュリという映画の後半で、祖国の武力統一のために、韓国でのテロリズムに及ばんとするラジカルな朝鮮人民軍兵士が、上記の内容を叫びながら激昂するシーンがあります。そこには、きれいごとだけで解決することのできない、逼迫した状況があります。彼の言い分に一定の理があるとしても、それでも我々は、あくまでその願いを叫び続けなければ、願いが成就されることはありません。
もう我々は十分に待ちました。祖国統一は、もう成就されたっていいはずです。植えつけられたそのイデオロギーは、冷戦中における東西のプロパガンダによって押し付けられたもの。我々には、憎しみあう理由なんて最初からないのですから。
大人たちの身勝手な大儀やイデオロギーに振り回され翻弄され、苦しめられ続けるのは、いつだって弱い人々であり、その最たるは子供たちです。幼少の頃から私もまた、南朝鮮はアメリカに蹂躙された植民地であり、南の当局こそが当面の敵であると教えられ育てられました。
けど、もはや北も南も関係ありません。さらにいうと、あらゆる国家や民族さえも無意味です。民族分断の原因を生み出したアメリカ、その国の言葉でリリックの一部を歌うことにさえ自分は目を瞑りましょう。あらゆる遺恨も、苦しめられた祖先たちの憎しみも、全て忘れたって構いません。文明が歴史を綴るのは、それをもって憎みあうためではなく、そこから学び協調していくためなのです。だからもう、この時代に生まれた私たちだけは、仲良くしましょう。
そこに困っている人がいて、助けたい気持ちがある。そうした愛の衝動にこそ、社会を形成する本来の意義があります。そうしたすべての人々にとって共有できる、助け合いたいと願う気持ち、そのアガペ、人類愛とも呼べる欲求を満たすためにこそ我々は、この社会という一種の契約を成立させたのです。社会という容れ物は、そこに収まるすべての人の欲求を、この善意の循環を阻害するものであってはなりません。
狭量なナショナリズムや、大仰ぶった大儀なんてもう必要ありません。ただ目の前の困っている人のために、この時代に生まれた私たちは、自分がしたいと思ったことをしていいんです。
歴史を知るからこそ、その悲しみを知るからこそ、私たちが紡いでゆく続きの歴史は、決して悲しいものにはしたくないから。